Archive | reading for N2 RSS feed for this section

スポーツと礼儀

12 Jul

日本では、親が子どもにスポーツをさせる一番の理由は「礼儀を学ばせたいから」だろう。未来の石川亮をねらってスポーツエリートを育てようとする親なら別だが、たいていの親はスポーツの技術より、スポーツを通して人間関係について学ばせるのが第一の目的のはずだ。スポーツの世界が日本社会の縮図と考えている親も多いと思われる。


ヨーロッパから来た学生は、この話を聞いてとても驚いたそうである。なぜなら「礼儀」とは、親が家庭で教えるものだからだ。それを他の人に頼むなんて、育児放棄をしているのと同じではないかというのが、この学生の主張だった。


もちろん日本でも家庭は「礼儀」を学ぶ大事な場所だ。しかし、「礼儀」とは他人から学ぶ、他人との関係を通して学ぶ一面も大きい。とりわけ、上下関係については、幼いころから学んでおけば、社会に出てから少しは人間関係の苦労が減るように思われる。理不尽な上司との付き合い方も、学生時代に先輩との付き合い方で経験しているからだ。


そう考えると、なぜ相撲界で外国人力士が礼儀についてバッシングを受けやすいのか、わかるような気がする。とにかく監督の言うことが正しい、先輩の言うことは何でも聞けという日本社会に、ある日突然入るのだから、それはとても気の毒な話である。怒られる理由を理解するのは大変だろう。


会社の中でも、社会においても上下関係を重んじるやり方は今やグローバルスタンダードからは遠く離れているかもしれないが、個人的には尊重したい日本の習慣だ。長く生きているだけで敬われるなんて、すてきなことではないでしょうか。そう思うのもたぶん、自分が年をとってきたからかもしれませんが。

おつり、けっこうです

19 Jun

Image「おつり、けっこうです」日本でこのフレーズを使ったことのある日本人はどれだけいるだろう。かろうじてタクシーでなら、という人はいるかもしれないが、他の場面となると・・・みなさん、何か浮かびますか。

日本にはチップの文化がない。すばらしいサービスや仕事ぶりに敬意を表すためにチップをあげたいのに!という外国人もいるようだが、それをしようものなら日本人の困惑した顔を見るだけで、逆にがっかりしてしまうのではないか。

チップ文化の国から来た人にとっては、どうしてこうも善意を拒むの?という疑問もわくだろう。私が考える理由は3つ。

理由1

きわめて事務的な問題なのだが、一日の終わりにレジをしめるとき合計が合わなくなるのが面倒くさい。

理由2

ならば、自分のポケットに入れてしまえばいいのではないか、と思うだろうが、これをするとたいがいの日本人は会社のお金を泥棒している気分になるので、自分のモラルに照らして難しい。

理由3

お金を施されたようで恥ずかしいから?というのも人によってはあるかもしれない。

Image

チップ(おつり)をあげたい外国人、もらいたくない日本人。私が考える解決策はこれ。

1 まずは、チップはすなおにもらおう。

2 それを自分のポケットに入れるのに良心の呵責があるなら、お店に募金箱を設置してそこに入れよう。お金が必要な人はいくらでもいる。

3 募金箱ではなく、貯金箱にして、会社の飲み会に使うのもありだと思いますが・・・。

私のtwitter生活

29 Apr

今月16日に、アメリカに本社をおくTwitterのCEOが来日、記者会見で「今後、Twitterの機能として災害対応を強化したい」と述べたそうだ。これは、昨年3月11日の東日本大震災後、Twitterが安否確認や情報収集に使われたことを受けての発言だ。

 
私自身がTwitterを始めたのは3年前、ソーシャルに詳しい友達からすすめられたから。当時は有名人の「つぶやき」をリアルタイムでフォローできるのがおもしろいなと思っていた程度だった。ところが、震災を経て、Twitterに対する私の中の位置づけは大きく変わった。TwitterのCEOが述べたとおり、情報収集ツールとして私の中に圧倒的な存在感を示したのだ。
 
東京では津波の心配はなかったが、余震の可能性、そして何より原発、放射能に対する不安。テレビや雑誌など既存のマスメディアは、これらの不安を解決してはくれなかった。そんなとき、Twitterのタイムライン上の「つぶやき」がどんなに役に立ったことか。
 
もちろん、Twitterのタイムラインにも人を不安にするようなデマや間違った情報がなかったわけではない。しかし、それを否定するような意見もすぐタイムラインに並び、地震から数週間はTwitterのタイムラインで情報をとるというのが日課となった。
 
今も私のタイムラインには、震災後フォローを始めた人たちの「つぶやき」がほとんどをしめている。それは、単なる情報だけではない。どうやって震災後の社会に向き合うべきか、それを考える材料をくれる大事なものだ。

もちろん!

9 Mar

「もちろん」ということばは、もちろんみなさんご存知でしょう。では、次の場面で「もちろん」の正しい使い方はどれでしょうか。

1)メリル・ストリープが3度目のアカデミー主演女優賞をとりました。

私:もちろん!

2)友達に簡単な漢字の間違いを直されました。

友達:これって「人る」じゃなくて「入る」じゃない?

私:もちろん!

3)友達にBBQに誘われました。

私:彼氏/彼女もいっしょに行っていい?

友達:もちろん!

正解は3)です。それでは、なぜ1)と2)はへんなのでしょうか。

日本語でも他の言語でも「もちろん」=当然、正当の意味があると思いますが、そこから派生して日本語の「もちろん」は了解、許容の意味で使うことが多いです。しかし1)は予想の的中(皮肉?!)、2)は理解、同意の意味を表したいので、この場面で「もちろん」を使うのはへんな感じがします。

それでは日本語では、何と言えばいいのでしょうか。

2)は「あ、そうだ」、3)は「そうか」「やっぱりね」などが自然だと思います。

忘れ物

9 Jan

私は、よく、ものを落とすし、失くすし、忘れる。今年も新年早々、電車のなかに手袋を片方落としてきた。過去のエピソードも数えたらきりがない。羽田空港にお土産のケーキを忘れたことがあるし、ニューヨークではタクシーに母のバッグをおいてきた。ところが幸運にも、私は失くしたものが見つかる確率が高い。手袋は終点の事務所に、ケーキは空港管理事務室の冷蔵庫におじゃまさせてもらっていた。バッグも次に乗ったお客さんの手から運転手さんへ。運転手さんからいろんな人の手を通って、私のところに無事に戻ってきた(何もとられずに!)。

 

芝居のチケットを落としたこともある。しかも劇場に行く途中。もはやどこで落としたのか見当もつかない。途中で立ち寄ったラーメン屋なのか、公園なのか、駅なのか。チケットがないことに気がついたのは、劇場近くに来てから。もう行くのを諦めようとも思ったが、すごく楽しみにしていた芝居だったので、とりあえず行くだけ行ってみることにした。

 

 

私 : すみません、ここに来る途中でチケットを落としてしまったようなのですが。

受付 : 席がどの辺りだったか覚えてますか。

私 : たしか前よりの右側だったと思います。

受付 : さきほど、チケットを拾ったという方からお電話がありました。お客さまのものだと思われます。どうぞ。

私 : …。

ありがとう、どこかの知らないだれか。どうか、その人にいいことがありますように。しかし、私は今まで何人の知らない人に助けられたのだろう。忘れ物が私に人の善意と感謝の気持ちをおしえてくれているようだ。

3.11からの分断線

24 Oct

先日、作家の高橋源一郎さんがTwitterで「分断線」というタイトルの興味深いTweetsをしていたhttp://togetter.com/li/201420。「分断線」というのは、あちらとこちらを分ける(見えない)線のことである。2011.3.11以降、わかれてしまった精神的、思想的、物理的な境界線について、高橋さんは言及する。

「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。それから、その線の向こう側にいる人たちへの敵意に苛まれるようになった。それらの「分断線」は、もともとあったものなのかもしれないのだけれど。

地震の数ヶ月後、一人の学生から言われたことがある。

「3.11までは、日本にずいぶんなれてきていた自分がいた。日本人の考え方も理解できるようになったし、家族と日本に住める自信があった。でも、地震があって改めて自分は外国人だなと感じた」と。彼も日本人と自分をわける「分断線」を感じたのだろう。

私も、あの日以降、いろんな「分断線」の存在を感じざるを得ない。東日本と西日本、原発派と脱原発派、津波と原発、無関心と関心。日本人の中にも、たくさんの「分断線」が生まれた。しかし、これはどちらが正しいという性質のものではない、たぶん平行線をたどる議論だ。それならば、相手を説得しようとするのではなく、それぞれの信条にしたがって、いまは自分がやれることをやっていくしかないのではないか。

「いまは、そんなことをやっているべきではない。こっちの方が大事だろ」ではなく「きみは、それをやるのか。ぼくは、こっちをやるから別々に頑張ろう」といえるようになりたい。それが、難しいことであったとしても。

私も高橋さんの意見に賛成である。

日本にはPardon?がない!?

28 Aug

英語を習い始めてすぐの段階だと思うが、サバイバル的で便利なフレーズということで、Pardon?やSorry?というフレーズを勉強すると思う。これは、相手が言ったことが聞き取れなかったり、理解できなかったときに便利なフレーズであると同時に、相手に同じフレーズのリピートを催促するので、マナーとしても大事なことばである。

しかし、自分が日本語を教える立場になって、日本語にはこの便利なフレーズがないことに初めて気づいた。つい日本語で「もう一度お願いします」と、訳したくなるが、実は、私は日本人がこのフレーズを使うのをあまり聞いたことがない。では、何と言うか。みんなおそらく「はい?」「えっ?」というだけである。ちなみにこんな短い言葉であっても、場面による使い分けは大切で、友達だったら「えっ?」「何?」「ん?」などを使うが、フォーマルな場面では「はい?」「何でしょうか」などを使うべきだろう。

ある学生から聞いた話では、日本人に対して「もう一度お願いします」を使うと、同じフレーズをリピートしてくれず、必ず次は英語になるらしい。これは、日本にPardon?やSorry?がないからなのか、それとも外国人だから日本語がわからないと思ってしまうからなのか。その学生には、これから聞き返すときは、「日本語で、ゆっくりお願いします」と言った方がPardon?の意味が伝わるのではないかとアドバイスしてみた。